2012年9月25日火曜日

マイケル・サンデル(鬼沢忍訳)『公共哲学 政治における道徳を考える』ちくま学芸文庫、2011年


Michael Sandel “Public Philosophy”,2005.の邦訳。第1部および第2部は、若き日にジャーナリストとして出発したというサンデルのジャーナリストとしての才覚があらわれた論述であろう(もともと初出は”The New Repubilic””The New York Times”に掲載されたものである)。この人の書いたものは論述が明晰であっても、常に自分の立ち位置については消極的にしか呈示しない傾向があるように思う。

 ところで、この著作で最も読みごたえがあるのは第3部でのロールズの「政治的リベラリズム」への鋭い批判ではなかろうか。ロールズの「政治的リベラリズム」は「包括的リベラリズム」すなわち倫理的相対主義に基づく斉一的世界観としてのリベラリズムを否定しながらも、多元的な倫理的・宗教的・文化的な信念の間での相互寛容を説くものであったという。しかしサンデルによると「政治的リベラリズム」は結局、世界観としての「包括的リベラリズム」を国家全体に押し付けざるを得ないのであり、「寛容」「相互尊重」という価値が他のあらゆる価値に優位しなければならないという前提に立つと論じる(同書332頁)。さらに結局は寛容という政治的価値を国家の公的領域に、その他の倫理的・宗教的・文化的価値を私的領域に振り分けることはできないと説く。

 そして法・政治と道徳・宗教・文化を分離しようとする政治的リベラリズムが不可能な以上、公共的な法・政治の領域が前提とすべき、公共的な道徳・宗教・文化について社会のざまざまのグループの公共的討論を通じての合意の可能性を探るべき、こうサンデルは説いていると言えるのではないか。

 ただし、本書では多文化的な国家において、そうした公共的な合意がいかに可能かの説明はないように思う。またサンデルが自身の道徳的見解として、人工妊娠中絶と子供を殺すことの間に道徳的線引きができるかのような発言も見られるが(335頁)、そうしたサンデルの見解が果たして公共的な見解として(法制度の問題としてならともかく少なくも倫理的信念の問題としては)どれほどの普遍的同意を得られるか疑問ではないか。正義原理についてすら普遍的同意が成立しえないことをロールズへの批判の中で指摘している以上(346頁)、まして道徳的見解については公共的議論の必要を主張するだけでは不十分であり、いかなる道徳的内容を立法に反映させるか、立法段階で最終決定せざるを得ず、その点についてサンデルがどう考えているのか、この本では不分明であるように思う。

 結局、「法と道徳」の分離、「善に対する正の優位」を説くリベラリズムに対する批判としてはサンデルの主張は肯定できるが、サンデル自身の控え目ながら暗示されている道徳的見解には筆者は組しえないし、全体に不満を感じる。しかし正義を人間の本性とその目的(善)の側から定義しようとしているらしい点自体は同意できよう(376頁)。