2012年8月30日木曜日

C.S.ルイス(鈴木訳)『キリスト教の世界』大明堂、1983年

 『ナルニア国物語』で知られるC.S.ルイスのラジオ講演を書籍化したもの(原題"Mere Christianity",1960)。人間の罪の問題から説き起こして、贖罪論、キリスト教倫理、神論(三位一体論)、救済論へと進み、最終的にキリスト教の本質を各人の「神化(キリスト化)」にあるものと説いている。
 同著者の『悪魔の手紙』も感銘を受けたが、本書はキリスト教入門書として抜群にすばらしいものであると思う。キリスト教の本質を、著者ならではのわかりやすい比喩を用いて極めて平明に説いている。未信者の方よりもむしろキリスト教信者がキリスト教をいわば「復習」するための講演であるかもしれないが、未信者の方にもわかりやすいものではないかと思う。

R.N.ベラーほか(中村訳)『善い社会 道徳的エコロジーの制度論』みすず書房、2000年

善い社会―道徳的エコロジーの制度論
 同じ著者らによる『心の習慣』の続編に位置づけられている著作。
 全体として、自由主義的個人主義を批判する共同体主義の立場から、個人と社会とをつなぐ「制度」の意義を説いている。副題の「道徳的エコロジー」は本書中「社会的エコロジー」とも呼ばれているが、個人を取り巻く社会・文化的環境のことで、ヨハネ・パウロ2世の『百周年回勅』(1991年)では「ヒューマン・エコロジー」と呼ばれていたものである。本書も、『百周年回勅』にも沿った方向で(このことは著者らがアメリカ司教団の"Economic Justice for All"を高く評価していることからも伺われる)、J.ロックに由来する社会哲学としての自由主義的個人主義と経済哲学としての「新自由主義」が、アメリカと世界の「道徳的(社会的)エコロジー」に破壊的影響をもたらした事を指弾している。また自然環境問題とそうした「道徳的エコロジー」の問題の関連も示唆されている。
 著者らはロック的な個人の自由と利益の最大化を目指す社会・経済哲学に代わり、地球規模での普遍的共同体、また逆にローカルな地域的共同体の共同善を志向する個人を育てるアメリカの聖書的伝統および共和主義的伝統を再興することを自由主義的個人主義のもたらした問題の解決策として提示している。
 著者らの解決案への疑義として、共和主義はともかく、聖書的伝統を地球規模でいかに普遍化しうるかというものが当然予想されるであろう。私見では著者らの議論には、共和主義という政治的エートスとキリスト教という宗教的エートスの間に来ると思われる、普遍的な倫理的エートスの次元の議論が希薄であるようにも感じられる。
 しかし全体としては、自由主義的個人主義のもたらした問題点を見据え、共同善へのまなざしを開く「社会倫理学」の必要性を鮮やかに示した著作と言えるだろう。また終章で論じている「注意」をめぐる議論がユニークである。ただし、共同善に向けての実践を「注意」という心理学的概念で語らざるを得なかった点が、この著作において本来の倫理的なものへのまなざしが希薄であることの表れでもあるかもしれない。「注意」ではなく、実践理性の「賢慮」を語るべきではなかったのか…。
 また個人主義を超えて制度の意義を説くという点はすでにかつてジョルジュ・ルナールなどが説いていたことであった(ルナール(小林訳)『制度の哲学』栗田書店、1941)。
 
 

2012年8月28日火曜日

篠澤 和久/ 馬渕 浩二編『倫理学の地図』ナカニシヤ出版、2010年

現代日本の中堅倫理学研究者の方々による大学学部生むけの倫理学の教科書。功利主義・義務論・徳倫理学という現代の英語圏の倫理学を中心にみられる規範倫理学の三分法を基本に、ニーチェやベルクソンなど「生の哲学」や日本倫理思想にもページがさかれている。分かりやすい事例から説き起こされ、平明な文章で書かれている。論述は全体に穏当であるように思われる。参考文献も挙げてあり親切。翻訳ものにはない分かりやすさがあり、教科書・参考書として優れた本であるように思う。
 ただし、本書を読んでも伺うことが出来るが、現代の英米を中心とする倫理学は行為の究極目的を問わず、個々の行為の善さを問題するにとどまり、いわば「善い行為」を問いえても、「善き生」は問いえていないように思われる。それは実は同時に死の意義をいかに問うかという問題とも連関するが、この点に関しては倫理学ではなく、むしろ「死生学」にその役割が割り振られているようにも思われる。

2012年8月21日火曜日

岩本潤一訳注『現代カトリシズムの公共性』知泉書館、2012年

 日本のカトリック教会の中心部とも言えるカトリック中央協議会司教協議会秘書室に勤務する著者による翻訳と著作。タイトルから伺われるように、ローマ(ヴァチカン)を中心としたカトリック教会の現代世界の諸問題に対するオーソドックスな見解を翻訳解説している。
 第1章から3章はいわゆる生命倫理に関する諸問題を扱う。人格的生命の始期、ES細胞研究のはらむ倫理的問題、「植物状態」における胃瘻による栄養補給の問題などが取り上げられる。特に「植物状態」は終末期ではないという見解は、「尊厳死」問題と「植物状態」とがしばしば結び付けられるだけに注目されよう。
 第4章はヨーロッパなどで法制化の進む同性婚の問題と、同性愛傾向の人の叙階の問題が論じられている。
 第5章はニューエイジ運動の問題が取り上げられ、同運動が倫理的相対主義と政治的無関心を通じての全体主義化につながる危険性が指摘されている。
 第6章の裁判員制度に関しては、政教分離の点から聖職者の同制度への参加が否定される半面、一般信徒にはむしろ共同善への寄与の面で参加が薦められている。
 第7章では、カトリックの伝統的な正当戦争の理論が取り上げられるが、シリア情勢でも問題になっている「保護する責任」論への言及が重要な論点であろう。
 第8と第9章は、ヨハネ・パウロ2世教皇と、ベネディクト16世教皇の事績のまとめである。ヨハネ・パウロ2世教皇の意図したことは、回勅や書簡、談話等を通じての第2バチカン公会議の決定の「正しい解釈」の普及にあったこと、また教理省長官として前教皇に仕えたベネディクト16世教皇もその路線を受け継いでいることが述べられている。
 全体として、第2バチカン公会議以降のカトリック教会が現代世界の内で本来目指しているところを、著者独自の主張も交えながら、いくつかの現代的論点において描いており、大変興味深い。